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ネパール一人旅 アーカイブ

ネパール一人旅

2004年11月01日

今から約6年前の1998年4月、ネパールに一人旅に出かけました。
期間は約1ヶ月半。
行き先はあえて決めない、気ままな一人旅です。

理由は単純。
「世界一の山脈、ヒマラヤを見たい!」でした。

ちょうど本屋のアルバイトを辞めようかと思っていた3月。
貯金は約20万ありました。
行くなら今しかないかな?などと思い、
慌ただしく準備をして、4月には飛行機に乗り込んでいました。

単純な理由から旅立った初めての海外旅行だったのですが、
これが僕にとってかけがえのない、また大きな意味のあるものになろうとは、
出発する時、想像だにしませんでした。

と、言うわけで、旅をした時に毎日書きためていた日記を、
少しずつですが、ここで公開していこうかな〜と思っています。
不定期ですので、まとめて読む時は、
カテゴリの「ネパール一人旅」で、
順々に読んでいってくださいね。

ネパール一人旅:1日目

2004年11月05日

++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
それでは、ネパール一人旅日記、始まります。
当時の空気をそのままお伝えしたいので、
できるだけ日記に書いてある文章をそのまま掲載します。
読みにくい部分もあるとは思いますが、ご容赦ください。
++++++++++++++++++++++++++++++++++++++


1998年4月5日(日)曇り時々雨 カトマンズ HOTEL POON HILL US6ドル
nepal_dialy.jpg

ついに始まったネパール一人旅。
前日の午前4時まで準備をしていたせいで、むちゃくちゃ眠い。
とりあえず地下鉄で京都駅へ向かった。
「関空特急はるか」に乗り込んで、いよいよ実感が湧いてきた。
そして関空に到着。
訳もわからず、とりあえず乗客の人たちに付いていった。
それにしても関空はすごく大きい。
でかすぎる。
そのでかいものが、なんと海にぽつんとある。
それも驚いた。
見渡す限り海、海、海。
とにかく驚いた。

その後、トラベラーズチェックと米ドルをとりに向かった。
そこの係りの人が親切で嬉しかったな〜。
その後すぐに搭乗手続きをしにロイヤルネパール航空の所に行った。
そして約1時間後、いよいよ滑走路へ向けて出発。
まず金属探知機などでチェックされた。
いきなり「ピンポーン」となったのでかなりあせったが、
原因は時計と財布の小銭のせいだった。
その後、出国手続きを済ませ、シャトルに乗り込んだ。
それでビューン走って、14ゲートの所で、搭乗手続きをとった。
もう出発の5分前ぐらいで、かなり焦って急いで走って飛行機に乗り込んだ。
1_mother.jpg

飛行機は「ロイヤルネパール航空 412便」。
大きさはそんなに大きくなかった。
すらっとした機体で、座席も3席ずつが2列とちょっと狭かった。
俺は「16番のA」でなんと窓際だった!
しかも、翼のすぐ横で、ジェットエンジンが轟々と鳴っていた。
俺の横の2つの席は、女性二人の親子連れの方が座っていた。
二人ともとても親切で、初めての飛行機で何もわからない俺に、
いろいろと教えてくれた。
二人は沖縄出身だそうで、小高い丘に家があり、海が見えるという。
お母さんの方は、バドミントンを教えているそうで、元気な方だった。
娘さんの方は、物事をハキハキ言う、感じのいい方で、
とても話しやすかった。
ビザの申請用紙を取るのを頼んでもらったり、
機内食の事を聞いたりと、色々お世話になりました。
いきなりいい出会いが出来て、とても嬉しかった。
1_daughter.jpg

そして、途中、上海を経由して、全行程約10時間。
(1時間到着が遅れた!)
やっとトリヴバン空港に着いた。
話は変わるが、機内食は結構いけた。
昼食は、チキンの煮込んだ物とご飯、パンなど、
コーヒーもサービスしてくれた。
少しおやつタイムがあって、
夕食は、チキンのカレー風味と、ご飯、パン、サラダなどだった。

そして、いよいよ到着。
それにしても何をすればいいのか、さっぱりわからない。
まず両替所で、5000円を2250ルピー(ルピーはネパールの通貨単位)に両替。
そして、ビザを取りにいく。
とるのは「マルティプル」で、US60ドルだったが、何やら「少し待て」とのこと。
(ちなみに会話は全て英語です)
奥の方で偉いさんと話してから、OKが出た。
それにしても、10ドル紙幣をペラペラして俺にしきりに見せていたが、
何がおかしかったのか、意味が分からなかった。

そして、税関は何の検査もなく、あっさり通り抜けた。
すると、もの凄い勢いでホテルの客引きがたくさん寄ってきた!
(30人くらいはいた!)
最初は一泊8ドルとか言っていたが、最後は「シングル3ドル」とか言って、
しかも「Taxi Free!」とか言ったので、のこのこ車に乗り込んだ。
10分程走って、着いたところが「HOTEL POON HILL」。
ところが、少し話が違う。
「シングル3ドル」だったはずが、6ドルだ。
「おいおい、ちょっと待てよ」と言いたくなったが、
外も暗いし、タクシーはタダだったし、「まあ最初やからいいか」という事で決定。
出迎えの「Welcome Tea」をいただき、少し嬉しかった。

その後、マネージャーのラムさんが、「カトマンズの事を教えてあげる」と言ってきて、
Teaを飲みながら色々教えてもらったが、トレッキングツアーやラフティング等々色々勧められ、
「明日・明後日返事をして。早い方がよい」などと言われ、少しひいてしまった。
これを親切ととるか、商売ととるか、とても難しい。
人を信用したいが、なかなか難しい。
慌てて「もしトレッキングなどを考えるときは相談する」と言って、なんとかその場はしのいだ。
こういうのは結構難しいなぁ。
断るときはきっぱり断ろう。
明日はゆっくり過ごすぞ。
<つづく>

ネパール一人旅:2日目

2004年11月08日

1998年4月6日(月)曇り時々雨 カトマンズ CAMP HOTEL Rs100ルピー(シングル)

やっぱりというか何と言うか、HOTEL POON HILLにはがっかりした。
朝10時半頃、CHECK OUTすると言ってカウンターに行ったら、
ちょっと待ってと言って、ラムさんと電話で話をした。

すると彼は「今日はファイティングの日(おそらくメーデー)だからどこも店はやってない」
「だから出発は明日でもいいじゃないか」と言ってきたので、
俺はとりあえず「もしそうなら戻ってくる。とりあえず他のところにも行ってみたい」
と言ったが全然納得してくれず、
なんやかんや理由をつけて、必要以上に引き止めてくる。
これは何かおかしいぞ、と思い、適当に受け流していると
「君は長く止まると思ったから6ドルでいいと言ったんだ。じゃないとこんな安くはないよ」
と、こんな事を言い出した!

おいおいそれはないだろ、と思いつつ、自分の主張をアピールし続けた。
確かに俺も1泊だけとは言わなかったが、勝手に長期宿泊すると思われても困る。
冗談じゃない。
俺はもう、少し腹が立ってきて、
「12ドル出すならCHECK OUTしてもいい」と言ったので、
もういいや!ってことで、さっさと12ドル払った。

なぜここまで引き止められるのか、さっぱりわからなかった。
自分の旅なのに、自由がないのはおかしい。
俺から金を出させようと言う魂胆が見えて、非常に残念だった。

その後、HOTEL POON HILLのあった「タメル地区」を後にし、
ダルバール広場を目指して歩き出した。
(右の地図をクリックすると拡大されます)

だいたいのカンで歩いていると、
ネパールの衣装をまとった日本人女性に出会った。
そして横にはもう一人の連れのネパール人もいた。
少し日本語で話し、「クマリゲストハウスに行きたい」と話したら、
ネパール人が案内してくれると言うので、連れて行ったもらった。
彼女曰く「彼は大丈夫よ」とのこと。
ほんとに大丈夫かな〜とちょっとドキドキしながらついていった。

クマリゲストハウスは満杯ということでダメだったので、
「CAMP HOTEL」を紹介してもらい、
「ありがとう」とお礼を言ったら、
何と彼は自分の家に「ダルバード(ネパールの豆カレー)を食べに来い」
と言ってくれたので、ついて行った。

*ダルバードはネパールのカレーで豆(ダル)の入った野菜だけのカレー。
みんなこれを一日2食食べている。


彼の名前は「ミラン」と言って、英語が堪能なしゃべり好きな人だ。
昔、オーストラリアに住んでいたそうで、
とても英語がうまく、気さくな人で、とても信頼できた。
俺の片言の英語を理解して話してくれた。

彼の家は、ダルバール広場から少し歩いて、川に出た、その近くにあった。
レンガ造りの家で、5階建ての立派な家だ。
案内されてうえに上がり、奥さんが出してくれたチャイをごちそうになった。
奥さんの名前は「ラトナ」といい、2人の子供も紹介された。
長女は「ラミ」と言って、笑顔が素敵な9歳の女の子だ。
弟は「ロミ」と言って、6歳で少し活発な男の子だ。

そして、彼のオーストラリア時代の写真や、
アンモナイトの化石を見ていたら、ダルバードがいよいよ出てきた。
初めて食べるネパールの定番料理なので、ドキドキしながら食べてみると、
これがなかなかいける!
慣れてくると結構おいしかった。
その後、「手で食べてみろ」と言う事なので、
右手で食べてみる。
「パーフェクト ネパリ!」(ネパリは英語でネパール人という意味)と言われ、
少し地元の人に近づけたようで嬉しかった。

その後、ネパールの音楽を聴いたり、写真を見たりして時間を過ごした。
そして「屋上に行こう」というので、屋上に上がった。
見晴らしがよく、「写真を撮ったら?」というので、
スワヤンブナート(カトマンズの西に位置する代表的な寺院。巨大な塔がある)
や、洗濯する人々などをとり、下に降りた。
そして、寺などを案内してくれると言う事なので、お願いして出発した。

途中の「New Road」で彼の友人に会ったが、
彼らは、いろいろな形に変わる輪や、孔雀の羽のうちわなどを勧めてきた。
買うつもりは全然なかったが、ミランの友人だし、
ミランも値段交渉して勧めるので、仕方なく買う事に。
2つでなんとRs1000ルピー!!
びっくりしたが仕方ない。
ミランには世話になっているが、少しひいてしまったのは正直なところだ。

案内してもらっている途中で、ミランの友人のレストラン(食堂)に入り、
ミランの友人たちと楽しい時を過ごせた。
飯の金は払わず、友人の一人の眼鏡屋の彼が出してくれるそうで、すごく嬉しかった。
彼は日本語学校に行っていたそうで、片言の日本語だが話す事ができた。
他の友人んたちとも写真を撮ったり、手品を見せてもらったり、
ロキシー(キツい酒!)を飲まされたりと、
本当に楽しいときを過ごした。

その後、ダルバール広場でしつこい客引きに会ったが、
そこでミランのオーストラリア人の友人に会った。
3人でしばらくカフェで話していたが、
その前に広場でなんとまた日本人女性に会った。
彼女は地元の人と結婚してすんでいると言い、横に旦那さんもいた。
聞くところによると、結構そういう人は多いらしい。
奥さんが日本人という人に今日だけで3人も会った!

当時聞いた話だが、
ネパールの若者には3つの夢がある、という。
「American House」
「Japanese Wife」
「Chainese Food」
だそう。
少し悲しかったが、これも現実だ、と痛感じた。


その後、3人で大きな鉾の車(祇園祭の山鉾のような)を見て、
ミランの友人のところでチャイとヨーグルトをいただいた。
その後もミランの友人たちにいろいろ会ったりして、
CAMP HOTELまで着いた。
その途中、どうしてもトイレが我慢できない!って話をしたら、
ミランが通り沿いの民家の人に話をつけてくれて、
いきなり見ず知らずの人の家にあがってトイレを借りた。
真っ暗な中でのトイレはほんと怖かった〜。

ミランは友人がとても多く、海外にもたくさん友人がいるそうだ。
日本人の友人もいて、ミランにいらん日本語を教えていた。
とてもここには書けない事を連発して話すので、
もう笑うしかなかった。
今日もまたいろいろな事があって、濃い一日だった。
あ〜疲れた。

それにしてもミランはエロいが面白いやつだ。
今日はミランに感謝。
明日はスワヤンブナートに連れて行ってくれるとの事。
明日もお願いします、ミラン。
<つづく>

ネパール一人旅:3日目

2004年11月25日

1998年4月7日(火)カトマンズ 曇り CAMP HOTEL Rs100ルピー

眠たい目をこすりながら、朝9時ぐらいに目が覚めた。
昨日の疲れがまだ残っているみたいだ。

10時半ぐらいにミランが迎えにきた。
HOTELの表に出ると、TAXI(日本車のサニー)が止まっており、
ミランの友人が3人座っていた。
ミラン曰く
「友人の車田から心配ない。ノープロブレム」
と言っていたので信じて乗る事に。
今日はダチンカリ(ヒンズー教の神様のお寺)や、
マニ寺(チベット仏教のお寺)に連れて(案内)くれるそうだ。
そのTAXIに乗る事30〜40分。
ダチンカリに着いた。


ダチンカリの前では、鶏や子羊が首を切られて、
血を出されていた。
ミラン曰く
「ダチンカリというヒンズー教の女神で血を捧げる神様」
だそうだ。
そこから少し上って小高い山の上に、
ダチンカリの母が奉ってあった。
ネパールでは、仏塔や神様は右回りしないといけないそうで、
ぐるりと回った見た。
時々、Tea(チャイ)を飲んで休憩しながら車まで戻った。

しかし、少し引っかかる事があった。
というのも、カメラのフィルム台も、
朝食券昼食台も、全てお金を出してくれるのだ。
ミランは後で精算しようと言ったが、少し不安になった。
「もしかしてTAXIを一日貸し切って見て回ってるのではないか?」
と思ったが、
ミランがその事を何も言っていないので、信用する事にした。

その後、マニ寺に行き、チベット仏教の若い僧に会った。
そこでは、部屋の奥にチベット仏教の神が奉ってあったのでお祈りをした。
そしてその寺の裏手にある山をどんどん登り、頂上付近に着いた。


そこには、チベットの教典が書かれた布が所狭しと吊るされていて、
風になびいていた。
なんでも、こうして教典の書いた布を風になびかせる事で、
風が仏教のお経を読んでくれると言う事らしい。

その山を下って、マニ寺の中をのぞくと、
6人のチベット僧がお経を唱えていた。
その手前では、おじいさんの僧が大きなマニ車
(チベット仏教のお経が彫ってあるもの車)
をぐるぐると回していた。
このおじいさんは一日中、そして毎日ずっとこのマニ車を回しているそう。
マニ車というのは、ぐるぐる回す事でお経が読まれたということになるもので、
先ほどの風になびかせてお経を読ませる、というのといい、
なるほどな〜と感心した。

その後、牛が乳を出しているように見える鍾乳洞に行った。
そこでもチベットの神様が奉ってあり、中の装飾はとても美しかった。
そしてしばらく進むと、チベットの祭りで、弓矢で的を射るのを競っているのを見た。
的の真ん中に当てた人には、賞金が出るというものだった。
マニ寺の周辺にはチベットの人が数多く住んでいるそうだ。

その後、キルティプル(ネパール盆地南部にある古都)というところにいる、
ミランの友人に会いに行った。
そのミランの友人というのは、なんとネパールのミュージシャンで、
家族みんながミュージシャンだそうだ。


家の長は「ハリ・ネパリ」と言って日本にも来た事があり、
他にもバンコク・中国・香港など、各国を回ったそうだ。
その家族で、息子の「キラン」もミュージシャンで、
日本語も勉強しているそうだ。
そして、そのキランの弟で、まだ6歳のビシュは、ハリと、
もう一人のネパリが奏でる伴奏に立派に歌い上げた。
これには本当に驚いた!
ちゃんと歌にはストーリーがあり、
とても6歳の男の子の歌う歌とは思えない程うまかった。

ハリは話し好きのおじさんで、
「サーランギ」という小さいギターのような楽器をビオラを弾くようにして、
見事な音色を出して、ネパールの音楽を聞かせてくれた。
彼は「SATABA MUSIC GROUP」という3人組のグループをやっているらしく、
そのメンバーの一人もやってきた。
その彼も混じって、歌ったり踊ったり、サーランギを弾かせてもらったり、
ネパールの太鼓を叩いたり、とても楽しい時を過ごした。
とても良い出会いができ、ミランに感謝!

その後、一緒に乗っていた友人を送り、
TAXIを運転していたミランの大親友「ディリプ」の家にお邪魔した。
彼も結婚していて娘さんがいた。
彼の家でダルバードをごちそうになり、CAMP HOTELに戻ろうとすると、彼もついてくる。
少し心配になったが、帰る事にした。

ホテルにつくと、ミランが
「彼は一日中君を案内した。ダチンカリ・パルピン・チョバル・キルティプル。彼に金を払って」
と言ってきた。
(このちょっと前に彼の友人宅で本を見ていると、
ちらっと3000ルピーを払ってというようなことを言っていた)
そんな大金あるかい!
どういう事やねん!
と思いつつ、財布を開けると1000円札が2枚と10ドル札が2枚と100ルピー札が4枚。
全部で2400ルピー相当の金額だ。
それでOKという事で、100ルピーはまけてくれたものの、
俺は全然納得していなかった。
TAXIに乗る時は「友達だから大丈夫」とか言っていたのに、
最後に金を払えとは、どういう事だ?
最初に何も言ってないじゃないか。
無茶苦茶腹が立った。
もう絶対にガイドは頼みたくない。
こんな事ではネパールに一ヶ月以上いる事など出来ない。
彼には明日、正直な所を最初に話し、大金は出せないとはっきり言おうと思う。

あ〜あ〜。
ミランもやっぱり金持ちの日本人についてくる、安っぽい奴なのかなぁ。
その割にはとても親切だから、何か複雑な想いだ。
これが偽の友情か、本当の友情か、判断に困る。
これからは、かなりお金の事は気をつけなくてはいけない。
帰ったら午前0時半だった。
とても疲れた。
おやすみ。

ネパール一人旅:4日目

2004年12月08日

1998年4月8日(水)曇り時々晴れ カトマンズ CAMP HOTEL Rs100ルピー

今日は朝からかなりの下痢だ。
とても腹が痛いので「正露丸」を飲んだ。
昨日、ネパールの食べ物を
汚い手でたくさん食べたのがいけなかった。
初の洗礼を受けた。

12時近くまで横になっていると、ミランがやってきた。
そうだ!
今日はスワヤンブナートに連れて行くと言っていたんだ。
だが、自分が病気である事と、
おなかが痛い事を言うと納得してくれたが、
Wifeの実家がパタンにあって、今日行くから行こうと言われた。
断りきれず、またまたTaxiに乗り込んだ。

「おいおい今日は勘弁してくれよ」と思い、
かなり警戒して
「今日一日、ミランの世話にはならないでおこう」
と決めた。
その前に、ホテルを出る直前、ミランをベッドに座らせ、
正直なところを話した。

まず、
「昨日はとても楽しかった。それはありがとう。
でも、私はネパールに長くいたい。
なぜなら、ネパールの歴史、寺などに行きたいから。
しかし、毎日毎日大金を払っていたら、長くいられない。わかった?」
と聞いたら、わかったと言ってくれた。
少し心配だが、わかってくれたみたいだ。
前日に「案内してくれても金は払えない」
と言ったのを覚えていたようだ。
それを踏まえた上でTaxiに乗り込み、
いざパタンへ向けて出発。

途中で、ミランがカトマンンズの各所を説明してくれるが、
腹が痛いのでモチベーションはとても低く、
あまりよい返事はできなかった。
しかし、これでいいと思う。
しんどいのにいい返事をする必要はない。
そういう所はDRYにいこうと思った。

パタンへ着くと、ミランの奥さんと別れ、食堂へ入った。
食堂では、ミランかディリプがダルバードやチュラなどを
何回も食べるか?と聞いてきたが、ことごとく断った。
腹が痛いのもあったが、昨日さんざんごちそうになって、
大金を請求されたので、今日は気を付けて用心した。


その時、
「フィルムとトイレットペーパーを買いたい」
と言ったら、
店の少年が案内してくれる事になった。
彼の名は「ビケシュ」といって、8歳の小さな少年だ。
彼のテクテク歩く後をついていき、
見事2つのものを買う事が出来た。
その後、すぐに、
店の正面の寺も案内(ちょこっとだけ)してもらい店に戻った。
店のおばちゃんは、
ちょっと太っている感じのいいおばちゃんで、
昨日、日本人の二人連れが来たが、
感じのよい二人だったと言っていた。


そこを後にし、
9000もの仏像が彫ってあるという
「マハボーダ寺院」を訪れた。
その見事な細工にびっくりした!
とても古い塔らしく、とても重厚な印象を受けた。

そこを後にし、
「パスポートを忘れたからHOTELに戻ってくれ」
と頼んでOKと返事したのに、いっこうに戻ってくれない。
それどころか、パタンのダルバール広場で
「見るだけ」と言って連れられていって、
途中で「tired,tired」と連発していたが、
「ヤーヤー」と返事はするが、次々と連れて行かれる。
確かにカトマンズの観光はしているが、自由がない。
自分自身の旅なのに、自由がないのはおかしいと思った。

ガイドしてくれるとわかりやすいのはわかるが、
これでは親切を飛び越えて迷惑だ。
とても腹が立ちながら回ったので、あまり印象が残らなかった。
とりあえず写真だけは撮った。

その後も、シヴァの寺や「ゴールドテンプル」など連れて行かれ、
ほとほと疲れた。
そこで初めてミランには、
「ガイドするルートが最初からあり、だから連れて行かれ、
Taxiに乗せられ、金を出させようとしている」
と思ってしまった。
疑心暗鬼に陥った。

ミランだけかもしれないが、彼等は調子が良すぎて、
次々と約束や予定を変更していく。
それを何とも思ってない。
決して人は悪くないのはわかるが、これではこっちがたまらない。
たが人はいいので、彼等とはできれば友人でいたいと思う。

しかし、約束は守ってほしい。
俺も自分の主張ははっきり言おうと思う。
明日は腹が痛いので、休日にしてゆっくり休む!

ネパール一人旅:5日目

2005年07月15日

1998年4月9日(木)曇り時々雨 カトマンズ CAMP HOTEL Rs100ルピー

せっかくカトマンズに来たのに、
こう毎日曇りだと、とても残念だ。
ヒマラヤが見えたのは一回だけだ。(でもさすがに雄大だ!)
時々小雨がぱらつき、
運が悪いとしか言いようがない。
本には、「5日滞在して5日とも雨なら運が悪い」と書いてあった。
早く雄大な山々が見てみたいな〜。

昨日の晩からひどい下痢で、
2〜3時間おきにトイレに駆け込んでいた。
(トイレには便座がない!!!どうやってしたかは秘密・・・)
どうやらか風邪をひいたらしく、
頭が痛く、節々が痛い。
ネパールに来て、初めて最悪の体調だ。
12:30過ぎまで寝ていた。

その後、お金を両替するのと、
西遊旅行に行って、
ポカラ行きのバスチケットを買いに出かけた。
ネパール銀行で両替を済ませ、
絵葉書を一枚出しに、
G・P・O(中央郵便局)まで行った。
前日から何も食べておらず、
ふらふらになりながら、結構な距離を歩いた。

その後、西遊旅行に向かって
カンティ・パト通りを北上していたら、
途中で日本語を話すネパール人にあった。
名前を「バイラザ」といい、
27歳で、日本語学校に行っているそうだ。
彼の応対はとても親切で、色々話していたら、
「今から友人の所に行くので、少しだけ時間をくれませんか?」
という事だった。
しんどかったが「OK」と答え、
彼の友人の文房具屋さんまで行った。

そこで彼は、日本人からの手紙を出して、
「漢字の読み方が分からないので教えて欲しい」
との事だった。
快くOKし、読み方を教えてあげた。
そして「困ったことがあったら、いつでも相談してください、
暇な時や散歩に行くときは呼んでください」
と言ってくれた。
そこで俺は「ガイド代は出せません」と言うと、
「そんなのはいらない」と言った。
今までの経験から、ガイドは絶対頼まないでおこうと思っていたので、
少しひいたが(残念な事だ)、
彼は本当に良さそうな人なので、
俺も日本語を教えてあげる、と約束し、店を後にした。

それから、ダルバール・マルグ通りを北上し、
西遊旅行に到着。
そこで、4/12(日)発ポカラ行きミニバスを予約した。
値段は300ルピーでまあまあだ。
そこで、空港でもらえなかった出国カードをもらい、一安心。
店員さんも親切で良かった。

そうこうしているうちに、一人の日本人の方がやって来た。
息を切らせた関西弁で
「リコンファームの電話をしたが繋がらない、航空会社を教えて欲しい」
との事だった。
彼は去り際に「飯でも食べます?」と言ってくれたので、
彼が戻るまで西遊旅行で待つ事に。
待つこと約一時間。
彼は約束を果たし来てくれたのでよかった。
あんまり遅いので、心配していた。

彼の名前は上野さんといって、29歳の方だ。
今は医療関係の仕事をしているらしく、
とっても感じのいい人だ。
海外は3回目らしく、ネパールは初めてで、
今日着いたそうだ。
彼は直行便ではなく、関空からタイのバンコクへ行き、
そこからタイ航空で約3時間半でネパールに来たそうだ。
彼と意気投合し、俺のホテルまで案内する事にした。
ホテルでお互いのパスポートや現金を貴重品入れに入れ、
飯を食いに、タメル地区のエベレスト・ステーキハウスへ出発。

しかし道に迷ってしまい、
タメル地区の別のステーキハウスで
ピザ(Rs100)、フライドライス(Rs75)、
レモンソーダ(Rs15)、ビールなどを頼み、
楽しいひと時を過ごした。
そして彼の旅の仕方など色々教えてもらい、
彼のホテルも紹介してもらった。

そのホテルは「タシ・デリ」と言って、
ガードマンもおり、とても綺麗なホテルだった。
これで一泊8ドルは安いと思った。
そこでも色々話をし、明日8時半近くに、
「パンパニカル・ベーカリー」でおちあうことにした。
明日は初めての早起きだ。
今日は風邪薬を飲んでぐっすり寝よう。

ネパール一人旅:6日目

2005年08月11日

1998年4月10日(金)晴れ カトマンズ CAMP HOTEL Rs100ルピー

今日は朝の7時半過ぎに起きて、
歯磨きをしていたら、
ミランと奥さんのラトナが来た。

俺は今日こそちゃんと言おうと、
「もうガイドはいいよ。今までありがとう」
「今日はガイドはいいよ。
日本人の友達を空港まで送りに行くから」
と言った。
すると、
「オー、今日はガイドするつもりじゃなかった。
君の様子を見に来ただけだ」
と言ってくれ、少し嬉しかった。
そして、
「ダルバール広場でマーケットをやりに行くから一緒に行こう」
と言ったので、一緒に行くことに。

途中で別れて、一路、
パンパニカルベーカリーへ。
そこで、上野さんともう一人、
日本人の女性に会った。
山梨から来ているそうで、
もう10日、カドマンズにいるそうだ。
3人で朝食をとり、女性の方と別れて、
二人で行動する事に。

とりあえず、上野さんのホテルに戻り、
どこに行くか決める事にした。
結局、「バラジュー庭園まで行こう」ということになり、
ホテルの前でリクシャー(日本でいう人力車)
の少年と交渉。
30ルピーにまけてもらい、いざ出発!

結構な距離を進み、
「ここがそうだ」と降ろされた。
すると、「2人で60ルピーだ」と言ってくるので、
上野さんが激怒し、
最初に渡したお金を取り上げた。
すると「45ルピー」というので、
上野さんが「40ルピー」と言って、
その場はおさまった。

近くにそれらしきものがなく、
ブラブラ道に迷いながら
なんとかバラジュー庭園に到着。
思っていた程、大きくなく、
こぢんまりとした庭園で、
少しがっくりしたが、
花は綺麗だったので良かった。

山の上まで行き、子供達と話した後、
「ニューバスパーク」
というバスの操車場まで行った。
そこから23番の
「オールドバスパーク行き」のバスに乗り、
途中のタメル地区の近くで降りた。
(バスは好きなところで降りてもよい!)

そして、少し歩いたところにあった
小さいレストラン(食堂風)に入り、
カレーを食べようとしたが、
そこでも言葉の壁から上野さんが激怒。
そこからしばらくして、
ようやくタメル地区に帰って来た。

上野さんのホテルでしばらくくつろぎ、
近くを散歩がてら店を見て回った。
その後、またホテルで一服し、
「エベレストステーキハウス」へ行った。

店内は欧米人ばかりで、
ネパールにいるとは思えない空間だ。
そこで「Italian steck」を頼んだ。
大きい肉(拳くらい)が2つとポテトに野菜で、
とてもボリュームがあった。
(注:ネパールはヒンズー教なので、
牛は神聖な生き物ですが、
なぜか水牛は食べてもよいです。)
それを美味しく頂き、再び近くを散策。

その後、またまたホテルへ帰り、
ひとしきりしゃべって、
CAMP HOTELに戻った。
彼とは明日の朝、また
「パンパニカルベーカリー」
でおちあうことを約束した。

彼とは色々話しができ、とても嬉しかった。
初めて日本人の方と行動をともにし、
とても身近に感じられた。

それにしても、
今日はかなり歩いたので疲れたな〜。
明日は初めての洗濯と初めて体を洗う。
(4日お風呂に入ってません・・・)
明日は「ポカラ」に出発する準備の日にしようと思う。
おやすみ。


*山梨から来た女性の話しによると、
トレッキングへ出かけた時、
標高4000メートル〜5000メートル付近で、
日本人の中年の方二人(おそらく40歳代?)が、
高山病で亡くなり、遺体が並べられていたそうだ。
(亡くなる人のほとんどが日本の中高年らしい)
高山病をなめてはいけないと思った。

ネパール一人旅:7日目

2005年10月04日

1998年4月11日(土)晴れ カトマンズ CAMP HOTEL Rs100ルピー

今日も快晴、とても良い気分で起きた。
今日は明日のポカラ行きの準備日にするつもりだ。
昨日の上野さんとの約束通り、
パンパニカル・ベーカリーへ。

朝食をとった後、金の両替やら何やらで、
上野さんのホテルへ。
そこで、米ドルは持っていたほうがよいだの、
色々な旅の知恵を授かった。

両替も、T/C20ドルなら、
5ドル分だけルピーにして、
後米ドル現金(キャッシュ)15ドルもらう。
15ドルはできるだけ細かく、
1ドルをたくさん持つ、等々
色々教えていただいた。

その後、上野さんのホテル「タシデリ」の前の雑貨屋さんで、
スプライトを買って乾杯し、別れる事に。
上野さん本当にお世話になりました。
下痢に効く抗生物質をいただいたおかげで、
すっかりよくなりました。
その他、たくさんの旅の知恵を授かり、
本当に感謝しています。
また帰ってから連絡とりたいです。

その後、ダルバール広場近くの「SNOWMAN」
というケーキ屋さんに入り、
シナモンロールとチョコアップルケーキ、
ミルクティー、ブラックティーを頼み、くつろいだ。
シナモンロール1つで十分な量だ。
チョコアップルケーキはむちゃくちゃ甘かったが、
頑張って全部食べた。
その後、ミランを探しにダルバール広場に行ったが、
どこにも見当たらず、ひとまずホテルに帰った。

帰ってから、大きなバケツに2つお湯を頼み、
久しぶりに体を洗った。
この度始まって以来、初めてだ!
とても気持ち良かったが、
お湯が足りず、結構苦労した。

その後、色々して、とても天気がよいので、
ホテルの上にあがらせてもらい、
展望を楽しんだ。
とても晴れていて雲一つなく、北を見ると、遠く、
白くそそり立つヒマラヤが眺めれた。
とても綺麗で神秘的だ!
その左奥にも、大きな白い山がそびえ立つ。
なんと素晴らしいことが!!
ここに来て初めて良かったと思った。

スワヤンブナート寺院のほうは、
小高い丘に立っており、後ろの大きな緑の山に抱かれて、
とても綺麗だった。

町の方を見渡しても、レンガ造りの家々が茶色く光り、
一つ一つの建物はとても綺麗とは言い難いが、
日本の町並みよりは数百倍も景色に溶け込んでいた。
とても美しい景色があたり一面に広がり、
一時間ばかし、ボーッと眺めていた。
途中、フィルムを買いに行き、
山並みや景色を撮影した。

その後、電話するのと、飯を食いに行くのとで、
「タメル」まで歩いた。
タメル近くで電話屋があったので、
日本の実家に初めて電話を入れた。
(公衆電話などなく、電話屋さんがある)

とてもハッキリ母の声が聞こえ、懐かしさが感じられ、
涙が出そうになった。
こんなに家族の声を聞くのが嬉しいとは、
日本じゃ絶対わからなかったと思う。
肉親のありがたさを改めて実感し、同時に大切さも感じた。
話の内容は、元気にしてる事と、ポカラに行く事を伝え、
一分だけしゃべった。(国際電話はめちゃ高いですからね)
今までの旅で一番嬉しかった。
hashimotosan.jpg
電話した後、すぐ近くにある
「サムケー」というチベット料理屋さんに入り、注文しようとしたら、
「日本人の方ですか?」と声をかけられ、びっくりした!
「橋本さん」といって、眼鏡をかけた優しそうな方で、
店が混んで来たのでご一緒することに。
サムケーには毎晩来てるらしく、
店でも顔なじみだった。
店の女の子のリタ(めちゃめちゃカワイイー!!)とも親しく、
とてもフレンドリーな方だった。
lita.jpg
もう2ヶ月以上旅をしているらしく、
ネパール→インド→ネパールと行ってこられたそうだ。
ポカラには何と一ヶ月以上もいたそうで、
とても居心地が良い所だと言っておられ、
安くてよいホテルやレストラン、
チベタンキャンプの友達まで紹介してもらった。

そうこうしていると、
もう一人の日本人の方が入ってこられた。
satousan.jpg
「佐藤さん」といって、一ヶ月ちょっと旅をしているそうで、
ランタンへトレッキングに行っていたそうだ。
眼鏡をかけた静かに話す方で、
ピアノがとても好きだそうだ。
初期のジャズをよく聴かれるそうだ。

橋本さんは28歳(当時)の方で、
一昨年の旅が初めての旅らしく、
上海からチベット→パキスタン→ギリシャと
6ヶ月以上も旅をしたという強者だった。
なかでもイランのテヘランは美人が多かったとのことだ!

他にもチベットの入り方や話など、
お二人からとても貴重で新鮮な話を聞けた事は、
本当に良かった!
ポカラでも1泊2日でのミニトレッキングも可能という事なので、
行ってから考えたいと思う。

その後、閉店時間(9時半くらい)がきたので、
お二人とはここで別れる事に。
最後に住所交換をした。
佐藤さんは一週間後にポカラに来るそうなので、
また是非お会いしたい。
京都案内することを固く約束して、
お二人と別れホテルに戻った。

今日は本当にいい出会いができて良かった。
また家族の有り難さを再確認した一日でもあった。
明日は朝、5時半起き。
ポカラがとても楽しみだ。

About

nakagawax (Nakagawa Masaru)

京都に生まれて育ちました。
東京で作曲・編曲活動しています。

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