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2004年11月 アーカイブ

ネパール一人旅

2004年11月01日

今から約6年前の1998年4月、ネパールに一人旅に出かけました。
期間は約1ヶ月半。
行き先はあえて決めない、気ままな一人旅です。

理由は単純。
「世界一の山脈、ヒマラヤを見たい!」でした。

ちょうど本屋のアルバイトを辞めようかと思っていた3月。
貯金は約20万ありました。
行くなら今しかないかな?などと思い、
慌ただしく準備をして、4月には飛行機に乗り込んでいました。

単純な理由から旅立った初めての海外旅行だったのですが、
これが僕にとってかけがえのない、また大きな意味のあるものになろうとは、
出発する時、想像だにしませんでした。

と、言うわけで、旅をした時に毎日書きためていた日記を、
少しずつですが、ここで公開していこうかな〜と思っています。
不定期ですので、まとめて読む時は、
カテゴリの「ネパール一人旅」で、
順々に読んでいってくださいね。

ネパール一人旅:1日目

2004年11月05日

++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
それでは、ネパール一人旅日記、始まります。
当時の空気をそのままお伝えしたいので、
できるだけ日記に書いてある文章をそのまま掲載します。
読みにくい部分もあるとは思いますが、ご容赦ください。
++++++++++++++++++++++++++++++++++++++


1998年4月5日(日)曇り時々雨 カトマンズ HOTEL POON HILL US6ドル
nepal_dialy.jpg

ついに始まったネパール一人旅。
前日の午前4時まで準備をしていたせいで、むちゃくちゃ眠い。
とりあえず地下鉄で京都駅へ向かった。
「関空特急はるか」に乗り込んで、いよいよ実感が湧いてきた。
そして関空に到着。
訳もわからず、とりあえず乗客の人たちに付いていった。
それにしても関空はすごく大きい。
でかすぎる。
そのでかいものが、なんと海にぽつんとある。
それも驚いた。
見渡す限り海、海、海。
とにかく驚いた。

その後、トラベラーズチェックと米ドルをとりに向かった。
そこの係りの人が親切で嬉しかったな〜。
その後すぐに搭乗手続きをしにロイヤルネパール航空の所に行った。
そして約1時間後、いよいよ滑走路へ向けて出発。
まず金属探知機などでチェックされた。
いきなり「ピンポーン」となったのでかなりあせったが、
原因は時計と財布の小銭のせいだった。
その後、出国手続きを済ませ、シャトルに乗り込んだ。
それでビューン走って、14ゲートの所で、搭乗手続きをとった。
もう出発の5分前ぐらいで、かなり焦って急いで走って飛行機に乗り込んだ。
1_mother.jpg

飛行機は「ロイヤルネパール航空 412便」。
大きさはそんなに大きくなかった。
すらっとした機体で、座席も3席ずつが2列とちょっと狭かった。
俺は「16番のA」でなんと窓際だった!
しかも、翼のすぐ横で、ジェットエンジンが轟々と鳴っていた。
俺の横の2つの席は、女性二人の親子連れの方が座っていた。
二人ともとても親切で、初めての飛行機で何もわからない俺に、
いろいろと教えてくれた。
二人は沖縄出身だそうで、小高い丘に家があり、海が見えるという。
お母さんの方は、バドミントンを教えているそうで、元気な方だった。
娘さんの方は、物事をハキハキ言う、感じのいい方で、
とても話しやすかった。
ビザの申請用紙を取るのを頼んでもらったり、
機内食の事を聞いたりと、色々お世話になりました。
いきなりいい出会いが出来て、とても嬉しかった。
1_daughter.jpg

そして、途中、上海を経由して、全行程約10時間。
(1時間到着が遅れた!)
やっとトリヴバン空港に着いた。
話は変わるが、機内食は結構いけた。
昼食は、チキンの煮込んだ物とご飯、パンなど、
コーヒーもサービスしてくれた。
少しおやつタイムがあって、
夕食は、チキンのカレー風味と、ご飯、パン、サラダなどだった。

そして、いよいよ到着。
それにしても何をすればいいのか、さっぱりわからない。
まず両替所で、5000円を2250ルピー(ルピーはネパールの通貨単位)に両替。
そして、ビザを取りにいく。
とるのは「マルティプル」で、US60ドルだったが、何やら「少し待て」とのこと。
(ちなみに会話は全て英語です)
奥の方で偉いさんと話してから、OKが出た。
それにしても、10ドル紙幣をペラペラして俺にしきりに見せていたが、
何がおかしかったのか、意味が分からなかった。

そして、税関は何の検査もなく、あっさり通り抜けた。
すると、もの凄い勢いでホテルの客引きがたくさん寄ってきた!
(30人くらいはいた!)
最初は一泊8ドルとか言っていたが、最後は「シングル3ドル」とか言って、
しかも「Taxi Free!」とか言ったので、のこのこ車に乗り込んだ。
10分程走って、着いたところが「HOTEL POON HILL」。
ところが、少し話が違う。
「シングル3ドル」だったはずが、6ドルだ。
「おいおい、ちょっと待てよ」と言いたくなったが、
外も暗いし、タクシーはタダだったし、「まあ最初やからいいか」という事で決定。
出迎えの「Welcome Tea」をいただき、少し嬉しかった。

その後、マネージャーのラムさんが、「カトマンズの事を教えてあげる」と言ってきて、
Teaを飲みながら色々教えてもらったが、トレッキングツアーやラフティング等々色々勧められ、
「明日・明後日返事をして。早い方がよい」などと言われ、少しひいてしまった。
これを親切ととるか、商売ととるか、とても難しい。
人を信用したいが、なかなか難しい。
慌てて「もしトレッキングなどを考えるときは相談する」と言って、なんとかその場はしのいだ。
こういうのは結構難しいなぁ。
断るときはきっぱり断ろう。
明日はゆっくり過ごすぞ。
<つづく>

iPod Photo

2004年11月07日

ipod_photo.jpg
かなり遅ればせながら、この話題を。

iPod Photoがついに市場に出回り始めましたね!
「道楽者」さんのblog「他力本願(^^;)」のエントリー、
至福のカラー」でおっしゃっている通り。

そうなんです!
今回のサプライズは僕的にも「Photo」ではないんです。
最大の魅力は「カラーになった!」ということ。

ちまたでは「写真が見れるって言ってもあのディスプレイサイズじゃな〜」
みたいな論調も流れてもりますが、
やっぱカラーは待望しておったのです。

「HOTWIRED」の「LET'S VOTE!」でも圧倒的に劣勢。
http://hotwired.goo.ne.jp/nwt/041102/voter/index.html


iPodはまず音楽ありき。
それにみんな異存はないでしょう。
これまで白黒だったディスプレイでも不満はありませんでしたが、
カラーになったことで、より魅力が増しました!
アルバムの画像が表示できるのも心憎い。

願わくば、このカラーディスプレイを
「iPod Photo」だけでなく、
他の「iPod」にも拡げていってほしい。
いずれそうなるでしょうから、その時を待って、
いよいよ2台目といきますかー!

ネパール一人旅:2日目

2004年11月08日

1998年4月6日(月)曇り時々雨 カトマンズ CAMP HOTEL Rs100ルピー(シングル)

やっぱりというか何と言うか、HOTEL POON HILLにはがっかりした。
朝10時半頃、CHECK OUTすると言ってカウンターに行ったら、
ちょっと待ってと言って、ラムさんと電話で話をした。

すると彼は「今日はファイティングの日(おそらくメーデー)だからどこも店はやってない」
「だから出発は明日でもいいじゃないか」と言ってきたので、
俺はとりあえず「もしそうなら戻ってくる。とりあえず他のところにも行ってみたい」
と言ったが全然納得してくれず、
なんやかんや理由をつけて、必要以上に引き止めてくる。
これは何かおかしいぞ、と思い、適当に受け流していると
「君は長く止まると思ったから6ドルでいいと言ったんだ。じゃないとこんな安くはないよ」
と、こんな事を言い出した!

おいおいそれはないだろ、と思いつつ、自分の主張をアピールし続けた。
確かに俺も1泊だけとは言わなかったが、勝手に長期宿泊すると思われても困る。
冗談じゃない。
俺はもう、少し腹が立ってきて、
「12ドル出すならCHECK OUTしてもいい」と言ったので、
もういいや!ってことで、さっさと12ドル払った。

なぜここまで引き止められるのか、さっぱりわからなかった。
自分の旅なのに、自由がないのはおかしい。
俺から金を出させようと言う魂胆が見えて、非常に残念だった。

その後、HOTEL POON HILLのあった「タメル地区」を後にし、
ダルバール広場を目指して歩き出した。
(右の地図をクリックすると拡大されます)

だいたいのカンで歩いていると、
ネパールの衣装をまとった日本人女性に出会った。
そして横にはもう一人の連れのネパール人もいた。
少し日本語で話し、「クマリゲストハウスに行きたい」と話したら、
ネパール人が案内してくれると言うので、連れて行ったもらった。
彼女曰く「彼は大丈夫よ」とのこと。
ほんとに大丈夫かな〜とちょっとドキドキしながらついていった。

クマリゲストハウスは満杯ということでダメだったので、
「CAMP HOTEL」を紹介してもらい、
「ありがとう」とお礼を言ったら、
何と彼は自分の家に「ダルバード(ネパールの豆カレー)を食べに来い」
と言ってくれたので、ついて行った。

*ダルバードはネパールのカレーで豆(ダル)の入った野菜だけのカレー。
みんなこれを一日2食食べている。


彼の名前は「ミラン」と言って、英語が堪能なしゃべり好きな人だ。
昔、オーストラリアに住んでいたそうで、
とても英語がうまく、気さくな人で、とても信頼できた。
俺の片言の英語を理解して話してくれた。

彼の家は、ダルバール広場から少し歩いて、川に出た、その近くにあった。
レンガ造りの家で、5階建ての立派な家だ。
案内されてうえに上がり、奥さんが出してくれたチャイをごちそうになった。
奥さんの名前は「ラトナ」といい、2人の子供も紹介された。
長女は「ラミ」と言って、笑顔が素敵な9歳の女の子だ。
弟は「ロミ」と言って、6歳で少し活発な男の子だ。

そして、彼のオーストラリア時代の写真や、
アンモナイトの化石を見ていたら、ダルバードがいよいよ出てきた。
初めて食べるネパールの定番料理なので、ドキドキしながら食べてみると、
これがなかなかいける!
慣れてくると結構おいしかった。
その後、「手で食べてみろ」と言う事なので、
右手で食べてみる。
「パーフェクト ネパリ!」(ネパリは英語でネパール人という意味)と言われ、
少し地元の人に近づけたようで嬉しかった。

その後、ネパールの音楽を聴いたり、写真を見たりして時間を過ごした。
そして「屋上に行こう」というので、屋上に上がった。
見晴らしがよく、「写真を撮ったら?」というので、
スワヤンブナート(カトマンズの西に位置する代表的な寺院。巨大な塔がある)
や、洗濯する人々などをとり、下に降りた。
そして、寺などを案内してくれると言う事なので、お願いして出発した。

途中の「New Road」で彼の友人に会ったが、
彼らは、いろいろな形に変わる輪や、孔雀の羽のうちわなどを勧めてきた。
買うつもりは全然なかったが、ミランの友人だし、
ミランも値段交渉して勧めるので、仕方なく買う事に。
2つでなんとRs1000ルピー!!
びっくりしたが仕方ない。
ミランには世話になっているが、少しひいてしまったのは正直なところだ。

案内してもらっている途中で、ミランの友人のレストラン(食堂)に入り、
ミランの友人たちと楽しい時を過ごせた。
飯の金は払わず、友人の一人の眼鏡屋の彼が出してくれるそうで、すごく嬉しかった。
彼は日本語学校に行っていたそうで、片言の日本語だが話す事ができた。
他の友人んたちとも写真を撮ったり、手品を見せてもらったり、
ロキシー(キツい酒!)を飲まされたりと、
本当に楽しいときを過ごした。

その後、ダルバール広場でしつこい客引きに会ったが、
そこでミランのオーストラリア人の友人に会った。
3人でしばらくカフェで話していたが、
その前に広場でなんとまた日本人女性に会った。
彼女は地元の人と結婚してすんでいると言い、横に旦那さんもいた。
聞くところによると、結構そういう人は多いらしい。
奥さんが日本人という人に今日だけで3人も会った!

当時聞いた話だが、
ネパールの若者には3つの夢がある、という。
「American House」
「Japanese Wife」
「Chainese Food」
だそう。
少し悲しかったが、これも現実だ、と痛感じた。


その後、3人で大きな鉾の車(祇園祭の山鉾のような)を見て、
ミランの友人のところでチャイとヨーグルトをいただいた。
その後もミランの友人たちにいろいろ会ったりして、
CAMP HOTELまで着いた。
その途中、どうしてもトイレが我慢できない!って話をしたら、
ミランが通り沿いの民家の人に話をつけてくれて、
いきなり見ず知らずの人の家にあがってトイレを借りた。
真っ暗な中でのトイレはほんと怖かった〜。

ミランは友人がとても多く、海外にもたくさん友人がいるそうだ。
日本人の友人もいて、ミランにいらん日本語を教えていた。
とてもここには書けない事を連発して話すので、
もう笑うしかなかった。
今日もまたいろいろな事があって、濃い一日だった。
あ〜疲れた。

それにしてもミランはエロいが面白いやつだ。
今日はミランに感謝。
明日はスワヤンブナートに連れて行ってくれるとの事。
明日もお願いします、ミラン。
<つづく>

Ivory

2004年11月10日

おおー!
すぐにでも試聴してみたい!

グランドピアノ音源集「Ivory」を発売
http://www.itmedia.co.jp/pcupdate/articles/0411/09/news044.html

http://www.minet.jp/synthogy/


スタインウェイの音を聴いたことがありません。
どんな音がするのかな〜?
楽しみです。

日本対シンガポール

2004年11月16日

ひえー、えらい間が空いてしまいました。
お久しぶりです!

明日はサッカー日本代表のW杯一次予選最終戦です。
一次予選突破は決めている日本代表ですが、
今までなかなか出番が回ってこなかった控え組がスタメンに名を連ね、
モチベーションは非常に高いはず!
ジーコも真剣に6勝目を狙うと公言しています。

シンガポール戦前日 ジーコ監督会見全文
http://sportsnavi.yahoo.co.jp/soccer/japan/kaiken/200411/at00003091.html


注目選手として僕は三浦淳宏(ミウラ アツヒロ)をあげたい!
5年前から代表に名を連ねているドリブラー。
彼の力は未だ衰えていません。
無回転の強烈なフリーキックは凄い!

夜7時20分キックオフ!
左サイド、注目です。

住宅都市整理公団

2004年11月18日

団地好き必見!

住宅都市整理公団
http://homepage2.nifty.com/danti/


2名の公団職員が軽妙な掛け合いで、
団地を面白おかしく語ります。
収録されている団地は現在、92個。
団地グッズのTシャツ欲しいな〜。

レッズ初優勝

2004年11月20日

12年目にして念願の初優勝!

サッカーの試合を観て、初めて泣きました。
なにかこう、これまでのことがグッとこみ上げてきたというか、
はたまた、年とって涙腺が緩くなったのかな?

僕が本当のファンになったのは、
小野伸二がデビューした時。
18歳のJ初試合は衝撃的でした。

元スペイン代表のベギリスタインへのノートラップパス。
なんじゃこりゃー!なんて凄い選手なんだ!って感動しました。

Jリーグ開幕当初は「Jのお荷物チーム」とまで言われ、
小野伸二が大ケガをした時期には2部落ちも経験しました。
まさに紆余曲折。
様々な出来事や経験を通して、本当に強いチームに育った。
それもひとえにあのJリーグ一熱いあのレッズサポーターがいたからこそ!

もの凄く熱い赤の軍団。
あの観客を見ただけで鳥肌が立ちます。

サッカーってなんて素晴らしいスポーツなんだろう。
サポーターと選手が本当に一体となって戦えるスポーツ。
同じく5万人を収容する野球とは全く違う感覚。
この一体感はなんなんだ!?

さあ、次はいよいよ横浜F・マリノスとのチャンピオンシップです。
これに勝ってJリーグ年間王者へ!
そしてアジアチャンピオンズリーグでもこの快進撃を続けて、
目指せアジアチャンピオン!


浦和レッドダイヤモンズ
http://www.urawa-reds.co.jp/

Jリーグ公式サイト
http://www.j-league.or.jp/

NINTENDO DS と PSP

2004年11月23日

12月のクリスマス商戦に向けて、
今それぞれ凌ぎを削っている戦いが繰り広げられています。
それは「NINTENDO DS」と「PSP」の戦いです。

両者は同じ次世代の携帯ゲーム機でありながら、
それぞれユーザーへの「アピールポイント」が違い、
市場では棲み分けがなされるのでは?と考えられています。

今盛んに両者のCMが放映されていますが、
それぞれのCMを見て、ほんとに感心しました。
自分達の最大の強みを最大限に活かしたCMを展開しているからです。

「NINTENDO DS」は「Touch! DS」をキャッチフレーズに、
一般の人たちが実際に遊ぶ様子を伝えて、
「遊ぶ楽しさ」「触れる楽しさ」をアピールしています。
(広告シンボルとして宇多田ヒカルを起用してますが)
CMでのアピールはもちろん、
Webサイトでも一般の人たちの様子を毎日流しています。

一方、PSPは「見た?」をキャッチフレーズに、
「画像クオリティの高さ」をアピール。
いきなりゲーム本体が登場し、
「みんなのゴルフ」の実際のゲーム画面を映し出し、
「この画面はハメコミ合成ではありません」の文字!
なによりもPSPの画像クオリティの高さを前面にアピールし、
まさに「見たら凄さがわかる」という、
非常にインパクトのあるCMを打ち出してきました。

「NINTENDO DS」で驚いたのは、
フーっと息を吹きかけると画面内のロウソクの火が消えること!
非常に驚きました!
これだけで十分インパクトがある!

「PSP」はやはりなんといっても画像の綺麗さ!
オープンカフェで客が遊ぶPSPを見入ってしまう店員のCMなどは、
まさに本質を表していて、
クスっと笑うCMとしての面白さもあります。

他にも優れたCMはたくさんあるのですが、
こうしてライバル同士を見比べてみてみると、
非常に面白いです。

僕は正直、どっちも欲しい!
でも遊ぶ時間がない!!
う〜ん、迷うな〜。

ネパール一人旅:3日目

2004年11月25日

1998年4月7日(火)カトマンズ 曇り CAMP HOTEL Rs100ルピー

眠たい目をこすりながら、朝9時ぐらいに目が覚めた。
昨日の疲れがまだ残っているみたいだ。

10時半ぐらいにミランが迎えにきた。
HOTELの表に出ると、TAXI(日本車のサニー)が止まっており、
ミランの友人が3人座っていた。
ミラン曰く
「友人の車田から心配ない。ノープロブレム」
と言っていたので信じて乗る事に。
今日はダチンカリ(ヒンズー教の神様のお寺)や、
マニ寺(チベット仏教のお寺)に連れて(案内)くれるそうだ。
そのTAXIに乗る事30〜40分。
ダチンカリに着いた。


ダチンカリの前では、鶏や子羊が首を切られて、
血を出されていた。
ミラン曰く
「ダチンカリというヒンズー教の女神で血を捧げる神様」
だそうだ。
そこから少し上って小高い山の上に、
ダチンカリの母が奉ってあった。
ネパールでは、仏塔や神様は右回りしないといけないそうで、
ぐるりと回った見た。
時々、Tea(チャイ)を飲んで休憩しながら車まで戻った。

しかし、少し引っかかる事があった。
というのも、カメラのフィルム台も、
朝食券昼食台も、全てお金を出してくれるのだ。
ミランは後で精算しようと言ったが、少し不安になった。
「もしかしてTAXIを一日貸し切って見て回ってるのではないか?」
と思ったが、
ミランがその事を何も言っていないので、信用する事にした。

その後、マニ寺に行き、チベット仏教の若い僧に会った。
そこでは、部屋の奥にチベット仏教の神が奉ってあったのでお祈りをした。
そしてその寺の裏手にある山をどんどん登り、頂上付近に着いた。


そこには、チベットの教典が書かれた布が所狭しと吊るされていて、
風になびいていた。
なんでも、こうして教典の書いた布を風になびかせる事で、
風が仏教のお経を読んでくれると言う事らしい。

その山を下って、マニ寺の中をのぞくと、
6人のチベット僧がお経を唱えていた。
その手前では、おじいさんの僧が大きなマニ車
(チベット仏教のお経が彫ってあるもの車)
をぐるぐると回していた。
このおじいさんは一日中、そして毎日ずっとこのマニ車を回しているそう。
マニ車というのは、ぐるぐる回す事でお経が読まれたということになるもので、
先ほどの風になびかせてお経を読ませる、というのといい、
なるほどな〜と感心した。

その後、牛が乳を出しているように見える鍾乳洞に行った。
そこでもチベットの神様が奉ってあり、中の装飾はとても美しかった。
そしてしばらく進むと、チベットの祭りで、弓矢で的を射るのを競っているのを見た。
的の真ん中に当てた人には、賞金が出るというものだった。
マニ寺の周辺にはチベットの人が数多く住んでいるそうだ。

その後、キルティプル(ネパール盆地南部にある古都)というところにいる、
ミランの友人に会いに行った。
そのミランの友人というのは、なんとネパールのミュージシャンで、
家族みんながミュージシャンだそうだ。


家の長は「ハリ・ネパリ」と言って日本にも来た事があり、
他にもバンコク・中国・香港など、各国を回ったそうだ。
その家族で、息子の「キラン」もミュージシャンで、
日本語も勉強しているそうだ。
そして、そのキランの弟で、まだ6歳のビシュは、ハリと、
もう一人のネパリが奏でる伴奏に立派に歌い上げた。
これには本当に驚いた!
ちゃんと歌にはストーリーがあり、
とても6歳の男の子の歌う歌とは思えない程うまかった。

ハリは話し好きのおじさんで、
「サーランギ」という小さいギターのような楽器をビオラを弾くようにして、
見事な音色を出して、ネパールの音楽を聞かせてくれた。
彼は「SATABA MUSIC GROUP」という3人組のグループをやっているらしく、
そのメンバーの一人もやってきた。
その彼も混じって、歌ったり踊ったり、サーランギを弾かせてもらったり、
ネパールの太鼓を叩いたり、とても楽しい時を過ごした。
とても良い出会いができ、ミランに感謝!

その後、一緒に乗っていた友人を送り、
TAXIを運転していたミランの大親友「ディリプ」の家にお邪魔した。
彼も結婚していて娘さんがいた。
彼の家でダルバードをごちそうになり、CAMP HOTELに戻ろうとすると、彼もついてくる。
少し心配になったが、帰る事にした。

ホテルにつくと、ミランが
「彼は一日中君を案内した。ダチンカリ・パルピン・チョバル・キルティプル。彼に金を払って」
と言ってきた。
(このちょっと前に彼の友人宅で本を見ていると、
ちらっと3000ルピーを払ってというようなことを言っていた)
そんな大金あるかい!
どういう事やねん!
と思いつつ、財布を開けると1000円札が2枚と10ドル札が2枚と100ルピー札が4枚。
全部で2400ルピー相当の金額だ。
それでOKという事で、100ルピーはまけてくれたものの、
俺は全然納得していなかった。
TAXIに乗る時は「友達だから大丈夫」とか言っていたのに、
最後に金を払えとは、どういう事だ?
最初に何も言ってないじゃないか。
無茶苦茶腹が立った。
もう絶対にガイドは頼みたくない。
こんな事ではネパールに一ヶ月以上いる事など出来ない。
彼には明日、正直な所を最初に話し、大金は出せないとはっきり言おうと思う。

あ〜あ〜。
ミランもやっぱり金持ちの日本人についてくる、安っぽい奴なのかなぁ。
その割にはとても親切だから、何か複雑な想いだ。
これが偽の友情か、本当の友情か、判断に困る。
これからは、かなりお金の事は気をつけなくてはいけない。
帰ったら午前0時半だった。
とても疲れた。
おやすみ。

About

nakagawax (Nakagawa Masaru)

京都に生まれて育ちました。
東京で作曲・編曲活動しています。

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