1998年4月6日(月)曇り時々雨 カトマンズ CAMP HOTEL Rs100ルピー(シングル)
やっぱりというか何と言うか、HOTEL POON HILLにはがっかりした。
朝10時半頃、CHECK OUTすると言ってカウンターに行ったら、
ちょっと待ってと言って、ラムさんと電話で話をした。
すると彼は「今日はファイティングの日(おそらくメーデー)だからどこも店はやってない」
「だから出発は明日でもいいじゃないか」と言ってきたので、
俺はとりあえず「もしそうなら戻ってくる。とりあえず他のところにも行ってみたい」
と言ったが全然納得してくれず、
なんやかんや理由をつけて、必要以上に引き止めてくる。
これは何かおかしいぞ、と思い、適当に受け流していると
「君は長く止まると思ったから6ドルでいいと言ったんだ。じゃないとこんな安くはないよ」
と、こんな事を言い出した!
おいおいそれはないだろ、と思いつつ、自分の主張をアピールし続けた。
確かに俺も1泊だけとは言わなかったが、勝手に長期宿泊すると思われても困る。
冗談じゃない。
俺はもう、少し腹が立ってきて、
「12ドル出すならCHECK OUTしてもいい」と言ったので、
もういいや!ってことで、さっさと12ドル払った。
なぜここまで引き止められるのか、さっぱりわからなかった。
自分の旅なのに、自由がないのはおかしい。
俺から金を出させようと言う魂胆が見えて、非常に残念だった。

その後、HOTEL POON HILLのあった「タメル地区」を後にし、
ダルバール広場を目指して歩き出した。
(右の地図をクリックすると拡大されます)
だいたいのカンで歩いていると、
ネパールの衣装をまとった日本人女性に出会った。
そして横にはもう一人の連れのネパール人もいた。
少し日本語で話し、「クマリゲストハウスに行きたい」と話したら、
ネパール人が案内してくれると言うので、連れて行ったもらった。
彼女曰く「彼は大丈夫よ」とのこと。
ほんとに大丈夫かな〜とちょっとドキドキしながらついていった。
クマリゲストハウスは満杯ということでダメだったので、
「CAMP HOTEL」を紹介してもらい、
「ありがとう」とお礼を言ったら、
何と彼は自分の家に「ダルバード(ネパールの豆カレー)を食べに来い」
と言ってくれたので、ついて行った。
*ダルバードはネパールのカレーで豆(ダル)の入った野菜だけのカレー。
みんなこれを一日2食食べている。
彼の名前は「ミラン」と言って、英語が堪能なしゃべり好きな人だ。
昔、オーストラリアに住んでいたそうで、
とても英語がうまく、気さくな人で、とても信頼できた。
俺の片言の英語を理解して話してくれた。
彼の家は、ダルバール広場から少し歩いて、川に出た、その近くにあった。
レンガ造りの家で、5階建ての立派な家だ。
案内されてうえに上がり、奥さんが出してくれたチャイをごちそうになった。
奥さんの名前は「ラトナ」といい、2人の子供も紹介された。
長女は「ラミ」と言って、笑顔が素敵な9歳の女の子だ。
弟は「ロミ」と言って、6歳で少し活発な男の子だ。
そして、彼のオーストラリア時代の写真や、
アンモナイトの化石を見ていたら、ダルバードがいよいよ出てきた。
初めて食べるネパールの定番料理なので、ドキドキしながら食べてみると、
これがなかなかいける!
慣れてくると結構おいしかった。
その後、「手で食べてみろ」と言う事なので、
右手で食べてみる。
「パーフェクト ネパリ!」(ネパリは英語でネパール人という意味)と言われ、
少し地元の人に近づけたようで嬉しかった。
その後、ネパールの音楽を聴いたり、写真を見たりして時間を過ごした。
そして「屋上に行こう」というので、屋上に上がった。
見晴らしがよく、「写真を撮ったら?」というので、
スワヤンブナート(カトマンズの西に位置する代表的な寺院。巨大な塔がある)
や、洗濯する人々などをとり、下に降りた。
そして、寺などを案内してくれると言う事なので、お願いして出発した。
途中の「New Road」で彼の友人に会ったが、
彼らは、いろいろな形に変わる輪や、孔雀の羽のうちわなどを勧めてきた。
買うつもりは全然なかったが、ミランの友人だし、
ミランも値段交渉して勧めるので、仕方なく買う事に。
2つでなんとRs1000ルピー!!
びっくりしたが仕方ない。
ミランには世話になっているが、少しひいてしまったのは正直なところだ。
案内してもらっている途中で、ミランの友人のレストラン(食堂)に入り、
ミランの友人たちと楽しい時を過ごせた。
飯の金は払わず、友人の一人の眼鏡屋の彼が出してくれるそうで、すごく嬉しかった。
彼は日本語学校に行っていたそうで、片言の日本語だが話す事ができた。
他の友人んたちとも写真を撮ったり、手品を見せてもらったり、
ロキシー(キツい酒!)を飲まされたりと、
本当に楽しいときを過ごした。
その後、ダルバール広場でしつこい客引きに会ったが、
そこでミランのオーストラリア人の友人に会った。
3人でしばらくカフェで話していたが、
その前に広場でなんとまた日本人女性に会った。
彼女は地元の人と結婚してすんでいると言い、横に旦那さんもいた。
聞くところによると、結構そういう人は多いらしい。
奥さんが日本人という人に今日だけで3人も会った!
当時聞いた話だが、
ネパールの若者には3つの夢がある、という。
「American House」
「Japanese Wife」
「Chainese Food」
だそう。
少し悲しかったが、これも現実だ、と痛感じた。
その後、3人で大きな鉾の車(祇園祭の山鉾のような)を見て、
ミランの友人のところでチャイとヨーグルトをいただいた。
その後もミランの友人たちにいろいろ会ったりして、
CAMP HOTELまで着いた。
その途中、どうしてもトイレが我慢できない!って話をしたら、
ミランが通り沿いの民家の人に話をつけてくれて、
いきなり見ず知らずの人の家にあがってトイレを借りた。
真っ暗な中でのトイレはほんと怖かった〜。
ミランは友人がとても多く、海外にもたくさん友人がいるそうだ。
日本人の友人もいて、ミランにいらん日本語を教えていた。
とてもここには書けない事を連発して話すので、
もう笑うしかなかった。
今日もまたいろいろな事があって、濃い一日だった。
あ〜疲れた。
それにしてもミランはエロいが面白いやつだ。
今日はミランに感謝。
明日はスワヤンブナートに連れて行ってくれるとの事。
明日もお願いします、ミラン。
<つづく>